なぜ”お互い様”の夫婦は、傷つけ合いをやめられないのか|正しさの綱引きから降りるために

記事タイトル「なぜ"お互い様"の夫婦は、傷つけ合いをやめられないのか|正しさの綱引きから降りるために」が大きく表示された、夫婦が綱引きで傷つけ合う様子を描いたOGP画像。
この記事で伝えたいこと

お互い様の傷つけ合いとは、夫婦の双方が「自分の正しさ」を握りしめ、相手にもそれを認めさせようとし続けることで、傷が固定化していく関係の状態です。どちらか一方が悪いのではなく、両方が同じ構造を抱えているために、抜け出しにくいのが特徴です。この記事では、なぜその傷つけ合いが終わらないのか、そして、もし自分だけでも降りたいと思ったとき、何ができるのかを整理します。

お互い様の傷つけ合いとは、夫婦のどちらもが「悪いのは相手だ」と感じながら、同時に「自分にも正しさがある」と握りしめている関係の状態です。

「どっちもどっちなのかもしれない。でも、苦しい」。そんなふうに、自分が加害者なのか被害者なのか、自分でも分からなくなっている方は、少なくありません。相手を責めたい気持ちと、責めている自分への嫌気が、同時に胸の中にある。その居心地の悪さを抱えたまま、今日もまた、同じやり取りを繰り返してしまう。

ただ、はじめに一つだけ、大切なことをお伝えします。もし、相手から一方的に支配されている、暴力や暴言で身の危険や恐怖を感じている、というのであれば、それは”お互い様”ではありません。その場合は我慢で乗り越えるものではないので、まず別の視点が必要です(一方的な支配・暴力が疑われる関係については、モラハラと共依存の見極めを先にお読みください)。

この記事が扱うのは、そうではなく、どちらにも言い分があり、どちらも傷つき、そしてどちらも相手を傷つけている——そういう、相互的な関係のほうです。

では、なぜ「お互い様」の関係ほど、傷つけ合いが終わらないのでしょうか。順に見ていきます。

なぜ”お互い様”の夫婦は、傷つけ合いをやめられないのか?

お互い様の夫婦が傷つけ合いをやめられない最大の理由は、「分かってほしい」という願いが、いつのまにか「分かってくれないあなたが悪い」という責めに変わってしまうからです。それを夫婦の双方が同時にやるため、正しさの綱引きが、どちらも倒れないまま、延々と続いていきます。

夫婦が「自分の正しさ」を主張し合い、傷つけ合う関係を「綱引き」で表現したインフォグラフィック。引けば引くほど動けず、手が傷つく構造を示す。

「分かってほしい」。この願い自体は、とても自然なものです。本来それは、「自分という存在を理解してほしい」という、静かな祈りに近いものなんですよね。

ところが、傷つけ合いが続く関係では、この祈りが、いつのまにか形を変えていきます。「分かってほしい」が、「分かってくれないあなたが悪い」に。お願いだったはずのものが、責めに変わっていく。

やっかいなのは、これを夫婦の両方が、同時に、相手に向けてやっていることです。

夫は「俺の言い分を分かってくれない妻が悪い」と思い、妻は「私の気持ちを分かってくれない夫が悪い」と思う。どちらも、自分の正しさを相手に突きつけ、そして同じだけ、相手からも突きつけられている。

これは、ちょうど綱引きに似ています。お互いが、自分の正しさという綱を、逆向きに、力いっぱい引いている。引けば引くほど、二人とも一歩も前に進めません。勝負はつかず、ただ、握っている手のひらだけが、少しずつ擦り切れていく。19年・2万件を超えるご相談の現場でも、この「正しさの綱引き」が何年も続いている、というケースは本当に多いものです。

そして、ここに一つの逆説があります。正しさというのは、強く握って引くほど、相手には届かなくなるものなんですよね。こちらが綱を強く引くほど、相手にはそれが「攻撃」に見える。だから相手も、負けじと引き返してくる。こうして二人とも、綱を握る手を緩められないまま、相手の顔を見る余裕さえ、失っていきます。 なお、これは「双方が綱を引いている」場合の話です。なかには、相手にはまったく引いている自覚がなく、こちらだけが疲れていく、という関係もあります。その場合は、ここでお話しする構造とは少し違ってきます(悪気がないのに、なぜか消耗してしまう関係)。

その「傷」は、いつのまにか”役割”を持っていないか?

傷つけ合いが長引く関係では、傷そのものが「役割」を持ち始めていることがあります。傷があることで被害者でいられ、傷があることで相手を責める理由が保て、傷があることで周囲に慰めてもらえる。そうなると、傷は「治すもの」ではなく、「保つもの」に静かに変わっていきます。

「傷ついた自分」という役割を保つために、無意識に傷を治さず(かさぶたを剥き)相手を責める理由を作り続ける心の循環を描いた図解。

少し、かさぶたを思い浮かべてみてください。

普通、傷はかさぶたになって、少しずつ固くなって、治っていきます。それが自然な流れです。ところが、傷つけ合う関係に深くはまったご夫婦の中には、かさぶたになりかけると、無意識にそれを掻いてしまう方がいます。せっかく塞がりかけた傷を、また自分で開けて、じくじくした状態に戻してしまう。

なぜ、そんなことをしてしまうのか。

理由は、たぶん、傷が治ってしまうと困るからです。正確に言うと、「傷ついた自分」という物語が、終わってしまうと困る

人は、苦しい時間が長く続くと、いつのまにか「傷ついている私」を、自分の芯の部分に据えてしまうことがあります。「私はこんなにひどい目にあってきた」「私はこんなに我慢してきた」。それが、自分が何者かを支える土台になる。すると、傷が治ること、つまり物語が終わることが、自分の輪郭が消えることのように感じられてしまうわけです。だから、治る手前で、また掻く。

一見すると小さなことに見えても、こうした「傷の温存」が起きている関係では、問題はなかなか終わりません。終わらせたくない、という気持ちが、本人も気づかないところで働いているからです。

なぜ、問題をわざわざ大きくし、作り続けてしまうのか?

傷つけ合う関係では、問題が自然に起きているとは限りません。すでにある傷をわざわざ広げてしまう「拡大」と、平穏になると新しい火種を探してしまう「生成」という、二つの別の動きが起きていることがあります。どちらも、本人が計算してやっているわけではないのが、特徴です。

夫婦関係が平穏になると自分の内側と向き合うのが怖くなり、無意識に新しい問題(不満、争い)を作り出して相手を責めることで、自分を守ろうとする構造の図解。

すでにある傷を、わざわざ広げてしまうとき

一つ目は、すでにある問題を、必要以上に大きくしてしまう動きです。

たとえば、もう終わったはずの過去の出来事を、何かのたびに蒸し返す。本当は小さなすれ違いだったはずのことを、相手の人格全体の問題のように語る。一度は落ち着きかけた話を、また自分から引っ張り出してくる。

これは、前の章でお話しした「傷の温存」が、行動として表に出たものです。傷が小さくなりかけると、被害者でいられなくなる。相手を責める理由が、足りなくなる。だから無意識に、傷を実際より大きく扱って、責める根拠を確保しようとするわけです。

ご相談の現場でも、「そんなに前のことを、なぜ今さら」と一方が戸惑い、もう一方は「あなたにとっては小さなことでも、私にはずっと消えない傷なの」と返す——この噛み合わなさは、本当によく見られます。どちらも嘘をついているわけではありません。ただ、傷を手放せない側にとっては、その傷を小さくすることが、自分の足場を失うことのように感じられているのです。

平穏になると、新しい火種を探してしまうとき

二つ目は、もっと気づきにくい動きです。問題がないときに、わざわざ新しい問題を作り出してしまう

穏やかな日が、二日、三日と続く。本来なら、ほっとできるはずの時間です。ところが、傷つけ合いに慣れた関係では、その平穏が、かえって落ち着かなくなることがあります。そして、ふとしたきっかけで、新しい不満を見つけてくる。これまで気にもしなかったことが、急に気になりだす。わざわざ波風を立てるようなことを、自分から言ってしまう。

なぜ、せっかくの平穏を、自分から壊してしまうのか

平穏になると、人は、自分の内側と向き合わざるをえなくなるからです。「私は、この関係で本当に幸せなんだろうか」「私は、本当は何を望んでいるんだろう」。静けさの中で、こうした問いが浮かんでくる。それは、心が弱っているときには、向き合うのがとても怖い問いです。

だから、外に向かって、波風を立てる。問題が外側にあれば、考える対象は外にできます。責める相手ができます。自分の内側を見つめなくて済む。つまり、波風を立てることが、自分自身と向き合わずに済ませるための、避難場所のように働いているわけです。

問題を作り続ける関係というのは、争いを好んでいるのではありません。むしろ逆で、静けさの中で自分と出会うことを、怖がっていることが多いのです。

シンプルに愛せないのは、なぜなのか?

シンプルに愛することができないのは、シンプルに愛することが、実はとても無防備な行為だからです。だから人は、束縛や駆け引きや言い争いといった「装置」を間に挟むことで、まっすぐ向き合う怖さから、自分を守ろうとします

「どうして、ただ普通に好き合って、普通に暮らせないんだろう」。そう思ったことのある方は、多いと思います。

でも、その「ただ、普通に」が、実はいちばん難しいことなんですよね。

シンプルに「あなたが大事だ」と伝えることには、装飾がありません。駆け引きがありません。逃げ場がありません。まっすぐ差し出して、もし受け取ってもらえなかったら、傷つくしかない。シンプルさとは、それくらい無防備なものなのです。

だから、心が弱っているときほど、人はシンプルさを避けます。代わりに、間にいろいろな「装置」を挟む。束縛する。探りを入れる。わざと不機嫌になる。喧嘩をふっかける。試すような言い方をする。すると、何が起きるか。傷ついても、「あの言い方のせいだ」「相手のせいだ」と思えるようになる。装置が、傷つくリスクを肩代わりしてくれるわけです。

相談の場で、私がよくお伝えすることがあります。それは、「シンプルに好きだと伝える」ことが、実はいちばん勇気のいることなんですよ、という話です。
駆け引きや探り合いのほうが、ずっと楽なんですよね。なぜなら、まっすぐ「あなたが大事だ」と言って、もしそれが届かなかったら、もう逃げ場がないから。だから人は、わざと回りくどくする。傷つかないように、間にクッションを挟む。
でも、覚えておいてほしいことがあります。無防備でいられることは、弱さではなく、いちばん静かな強さなんです。鎧を着たまま抱き合おうとすれば、ぶつかるのは金属の音だけ。温もりは、鎧を脱いだ人にしか、伝わらないものですから。

ここで大切なのは、相手を責めることではありません。お互い様の傷つけ合いをしている二人は、たいてい、二人とも鎧を脱げずにいます。脱いだら傷つくと知っているから、脱げない。その怖さ自体は、責められるものではないのです。

ただ、もし関係を変えたいなら、どこかで誰かが、鎧の重さに気づく必要があります。そして、それに最初に気づけるのは、たいてい、いま「変わりたい」と思っている側の人なんですよね。

もし、自分だけでも、この綱引きから降りたいと思ったら?

もし、自分だけでも綱引きから降りたいと思ったら、出発点は「相手を変えようとするのをやめる」ことです。相手を変えるためではなく、自分がこれ以上消耗しないために、自分の側の綱を、少しずつ緩めていく。それが、最初の一歩になります。

夫婦の傷つけ合いの綱引きから、自分だけでも降りる(綱を緩める)方法の図解。相手を変えようとせず、自分の側の力みを抜くことで構造を変える最初の一歩。

お互い様の傷つけ合いでは、片方だけが先に「もう、こんな関係を変えたい」と思い始めることがよくあります。相手はまだ綱を握っているのに、自分だけが疲れて、降りたくなる。この温度差は、つらいものですよね。

綱引きは、片方が引くのをやめると、構造そのものが変わります。相手はしばらく、勢い余ってつんのめるかもしれない。あるいは、なおも一人で引き続けるかもしれない。それでも、こちらが引かなければ、「綱引き」という形は、もう成り立たなくなります。

ただし、ここで一つ、注意してほしいことがあります。「綱を手放す」ことを、「相手の言うことを何でも受け入れる」ことと取り違えないでください。過剰に受け入れる姿勢は、相手にとって、かえって圧になることがあります。「いつでも受け止めますよ」という構えは、傷を抱えた相手には「いつでも見られている」と感じられ、防衛をむしろ強めてしまうことがあるからです。綱を手放すとは、相手に明け渡すことではなく、自分の側の力みを、静かに抜くことです。

また、いま別居をしている方は、その物理的な距離を、綱を手放す練習の「猶予」として使える面があります。毎日、相手の反応に直接さらされずに済むぶん、自分の感情を、自分のペースで整理しやすいからです。ただし、距離があれば自動的に解決する、というわけではありません。離れている時間が、整理に向かうのか、それとも未消化の感情を温存するだけになるのか。その差が、別居の意味を大きく分けます。

ここから先、つまり「相手を変えようとせず、自分から関係を変えていく」具体的な考え方については、一本の記事にまとめてあります。綱引きから降りたあと、関係の修復可能性をどう見極め、自分に何ができるのかを知りたい方は、相手を変えずに、自分から始める夫婦修復の考え方を読んでみてください。

なお、「正しさ」で関係がこじれていく仕組みそのものについては、正しさで夫婦が壊れる心理でも別の角度から扱っています。あわせて読むと、自分の綱の握り方が見えてくるかもしれません。

よくある質問(FAQ)

これは「共依存」ですか?

お互い様の傷つけ合いは、共依存と重なる部分がありますが、同じものとは限りません。共依存は「相手の世話をすること」で自分の価値を感じる関係を指しますが、お互い様の傷つけ合いは「相手を責められる構図」を必要としている点に特徴があります。どちらにせよ、相手そのものより「相手との関係の形」に縛られている状態です。気になる場合は、自分が相手の何に縛られているのかを、一度言葉にしてみることをおすすめします。

どっちが悪いか、白黒つけたいのですが?

その気持ちは、とても自然なものです。ただ、お互い様の関係では、「白黒をつけること」そのものが、綱引きの一部になっていることが少なくありません。「どちらが正しいか」を決めようとするほど、二人とも綱を強く握ってしまうからです。大切なのは、勝ち負けを決めることより、「この綱引きを、いつまで続けたいか」を自分に問うことかもしれません。

相手が変わってくれないなら、意味がないのでは?

相手の変化を目的にすると、こちらの行動はすべて「相手を変えるための手段」になり、それは相手に圧として伝わります。まずは、相手のためではなく、自分がこれ以上消耗しないために、綱を緩める。結果として相手が変わることもありますが、それは「おまけ」として考えておくほうが、自分の心が守られます。変わらない可能性も含めて、これからの関係を選び直す視点が役に立ちます。

別居中です。距離があれば、抜け出しやすいですか?

物理的な距離は、確かに助けになります。相手の反応に毎日さらされずに済むぶん、自分のペースで気持ちを整理しやすくなるからです。ただし、距離があるだけで解決するわけではありません。離れている時間を「自分を整える時間」にできるか、それとも「相手への不満を膨らませる時間」にしてしまうか。その使い方が、別居の意味を分けていきます。

まとめ

お互い様の傷つけ合いは、どちらか一方が悪いのではなく、二人が同じ構造を抱えているために、抜け出しにくくなっています。傷が「役割」を持ち、問題が拡大され、ときに新しく作られ続ける。その根っこには、まっすぐ向き合う「無防備さ」を、お互いが怖がっているという事情があります。

もし、自分だけでも降りたいと思ったら、相手を変えようとするのをやめて、自分の側の綱を、静かに緩めるところから始めてみてください。一人で構造を整理しきれないと感じたときは、整理を手伝う場として、専門家を頼ることもできます。

この記事の要点

  • お互い様の傷つけ合いは、双方が「正しさの綱」を逆向きに引き合っている状態
  • 傷が「役割」を持つと、治すより保つことが優先され、問題は拡大・生成され続ける
  • 抜け出す第一歩は、相手を変えることではなく、自分の側の綱を静かに緩めること

一人で綱を手放すのは、思っているより、ずっと難しいものです。自分だけが降りようとして、かえって消耗してしまう方も、少なくありません。もし、この綱引きの構造を一人で整理しきれないと感じたら、整理を手伝う場として、カウンセリングを使ってみてください。どちらが悪いかを裁く場ではなく、これからをどうしたいかを、一緒に見つける場としてお使いいただけます。

迷っているうちは、まだ動かなくても大丈夫です。「離婚すべきか、続けるべきか」をまず整理したい方は、離婚すべきか迷ったときの見分け方も参考になります。

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本記事の作成にあたって

本記事は、19年・2万件を超える夫婦カウンセリングの実務経験に基づき、客観性を担保して執筆しています。本文で触れた関係のパターンは、特定の個人の事例ではなく、現場で繰り返し見られる類型を、一般化して整理したものです。

関連する心理学的な概念として、以下があります。

  • 共依存(Codependency):相手から必要とされること、あるいは相手を必要とすることに、自分の価値を強く結びつけてしまう関係性のあり方。
  • 課題の分離:アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)の心理学に由来する考え方で、「自分が引き受ける課題」と「相手が引き受けるべき課題」を分けて捉える視点。
  • 家族システム論:夫婦や家族を、互いに影響し合う一つの関係システムとして捉え、一人の変化が全体の変化につながると考える家族療法の枠組み。
【免責事項(必ずお読みください)】

本記事は、夫婦間の問題に関する一般的な情報と、当方のカウンセラーとしての経験則の提供を目的としたものであり、特定の個人に対する医学的・心理学的・法的アドバイスを提供するものではありません。心身の不調や、安全に関わる深刻な懸念がある場合は、医師・臨床心理士・弁護士などの専門家、または公的な相談窓口にご相談ください。

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